レオナルド・ダ・ヴィンチ

Leonardo da Vinci(1452年-1519年)はイタリア、ルネッサンスを代表する芸術家。

フルネームはレオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ 。音楽、建築、数学、幾何学、解剖学、生理学、動植物学、天文学、気象学、地質学、地理学、物理学、光学、力学、土木工学など様々な分野に顕著な業績を残し、万能人 と言われている。


以下は、Kindle電子書籍の一部を抜粋。

以下は、画家ブログより。

ダヴィンチ・ノート❷「色彩は物体が隔たるほど、その本質を失う」

レオナルド・ダヴィンチの別の日のノートがあります。

 

 

【ダヴィンチNote2】

 

「色彩の遠近は何かの寸法に比例するものではない。

色彩は物体が隔たるほど大きさを失うように(①)、

それに応じてその本性を失う(②)ことに注意せよ」

 

 

①は、遠近法、透視図法、線遠近法と言われるものです。

②は、レオナルドが提唱した「スフマート技法」のことでしょう。

ぼかしのかかった色調で、顔や身体が、大気に包まれるような描写です。

輪郭線が消えて、やわらかい色彩のグラデーションで描かれます。

ダビンチの絵画から受ける「神秘な柔らかさ」は、この技法によるものでしょう。

 

 

実際に、私たちの顔には「輪郭線」が存在しません。

背景の木々にも「輪郭線」は存在しません。

すべての物には、光の当たる所と、影になるところがあり、その光の両面が作用しあって、物の形態となって認識しています。

 

その光と影の部分を、色彩のグラデーションで描写しています。

 

 

「聖アンナと聖母子」の、このスフマート技法をよく表しています。

ダヴィンチ・ノート1️⃣「5倍離れて描くには、5倍青く描け!」

レオナルド・ダヴィンチは、絵画を「科学」として捉え、絵画の「3次元を2次元で表現する」という大命題を、「色彩表現」にって解決しようとしました。

 

1492年のレオナルドのノートに次のような記述があります。

 

【ダヴィンチNote1】

「世界の一望を描こうとする画家は、遠方への眺めの中で世界がますます青くなるということを考えてみるがよい。

5倍ほど遠く離れて描こうとするものを5倍ほど遠く青く描け」

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ルネッサンス3大巨匠の比較〜生い立ち編〜

三大巨匠比較〜生い立ち編〜

 

問題

三大巨匠、父の職業は?

 

1レオナルド・ダヴィンチ

2ミケランジェロ

3ラファエロ・サンティ

 

 

A宮廷画家の息子

B貴族の息子

C公証人の父の庶子

 

 

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レオナルド・ダヴィンチ(1452-1519)は、フィレンツェ共和国のヴィンチ村で生まれました。父は公証人、母は農家の娘であったため、非嫡出子(実父は実母と結婚していない)として人生をスタートさせます。やや複雑な家庭環境でしたが、父の配慮でヴェロッキオ工房に入ることができました。

 

 

ラファエロ・サンティ(1483-1520)は、フィレンツェに近い、ウルビーノというイタリア中部の町で生まれました。父は宮廷画家でヴァザーリの「芸術列伝」によれば、「たいした画家ではなかったが、知性的な人物」であったそうです。

ラファエロの父は、ウルビーノ公のために、絵を描く仕事を息子ラファエロに手伝わせました。つまり、ラファエロは、画家になることは当然の恵まれた環境で育ったのです。

 

 

ミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)は、フィレンツェ共和国のカプレーゼという町で、貴族ブオナローティ家に生まれました。父は自分の息子が「画家」になることなど、思いもよらない、真面目な父のもとで、厳格に育てられました。ミケランジェロの生真面目な性格は、そういった家庭環境であることが影響を与えているでしょう。

 

1レオナルド・ダヴィンチ-C公証人の庶子

2ミケランジェロ-B貴族の出身

ラファエロ・サンティ-A宮廷画家の息子

「人間嫌いの、レオナルド」「気遣いの人、ラファエロ」

数少ないレオナルド・ダ・ヴィンチの油絵「ジネブラ・デ・ベンチの肖像」です。

「フィレンツェで有名な美女??」

「美の基準が今と違うのかな?」

 

そもそも、レオナルドは「人への興味」という普通の感覚に欠けていました。

 

この作品も、モデルより背景の木への興味の方が強いようにさえ思います。

 

レオナルドにとって、生身の人間を描くという意味よりも「実験のための絵」であったのかもしれません。

「モナリザ」が、多くの仕掛けを残しながら、ミステリアスな印象を受けるのも、そのためでしょう。 

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