神のごとき”ミケランジェロ”

〜筋肉隆々の裸体像〜


ミケランジェロ・ディ・ロドヴィーコ・ブオナローティ・シモーニ(Michelangelo di Lodovico Buonarroti Simoni)(1475年3月6日 - 1564年2月18日)は、イタリア盛期ルネサンス期の彫刻家、画家、建築家、詩人。13歳の時に親の反対を押し切り、ギルランダイオに弟子入りする。システィーナ礼拝堂の壁画は有名だが、ダヴィデ像や、24歳の時制作したローマのサン・ピエトロ大聖堂「ピエタ」など、ミケランジェロ本人は彫刻家としての自覚が強かったようである。

最後の審判、ダビデ、ピエタなど詳しく解説。




ルネッサンス3大巨匠の比較〜生い立ち編〜

三大巨匠比較〜生い立ち編〜

 

問題

三大巨匠、父の職業は?

 

1レオナルド・ダヴィンチ

2ミケランジェロ

3ラファエロ・サンティ

 

 

A宮廷画家の息子

B貴族の息子

C公証人の父の庶子

 

 

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レオナルド・ダヴィンチ(1452-1519)は、フィレンツェ共和国のヴィンチ村で生まれました。父は公証人、母は農家の娘であったため、非嫡出子(実父は実母と結婚していない)として人生をスタートさせます。やや複雑な家庭環境でしたが、父の配慮でヴェロッキオ工房に入ることができました。

 

 

ラファエロ・サンティ(1483-1520)は、フィレンツェに近い、ウルビーノというイタリア中部の町で生まれました。父は宮廷画家でヴァザーリの「芸術列伝」によれば、「たいした画家ではなかったが、知性的な人物」であったそうです。

ラファエロの父は、ウルビーノ公のために、絵を描く仕事を息子ラファエロに手伝わせました。つまり、ラファエロは、画家になることは当然の恵まれた環境で育ったのです。

 

 

ミケランジェロ・ブオナローティ(1475-1564)は、フィレンツェ共和国のカプレーゼという町で、貴族ブオナローティ家に生まれました。父は自分の息子が「画家」になることなど、思いもよらない、真面目な父のもとで、厳格に育てられました。ミケランジェロの生真面目な性格は、そういった家庭環境であることが影響を与えているでしょう。

 

1レオナルド・ダヴィンチ-C公証人の庶子

2ミケランジェロ-B貴族の出身

ラファエロ・サンティ-A宮廷画家の息子