ウィリアム・ターナー(William Turner)(1775年4月23日 - 1851年12月19日)は、新古典主義のあとに台頭したロマン主義の巨匠。 18〜19世紀にかけて活躍したイギリスで最も偉大な画家。
印象派が誕生する50年以上も前に、『波を描き、大気や光を描き、自然の恐怖のような目に見えないものを描いた』とされる。 写実的なスタイルから出発し、 印象派から抽象画にいたる100年かかる絵画の進歩を一人で成し遂げた、とも言われている。
ターナー画集(世界の名画シリーズ)から一部掲載
次は、ゴヤが1792年に王立サン・フェルナンド美術アカデミーに提出した「美術教育についての報告書」です。
「私は、アカデミーというものは、排他的であってはならず、そこで自由に勉強しようと思う者に助力を与える以外のどのようなこともしてはいけないと断言いたします。
アカデミーは、子供の学校のように厳しい服装を強要したり、機械的な規則、毎月の賞、財政的な援助など、絵画という自由で高貴な芸術を卑しめるような、つまらなぬことは、いっさいこれを追放すべきであります。
また、デッサンの困難を克服するためと称して、形式的な幾何学や遠近法の勉強に時間を費やすべきではありません。
というのは、デッサンは、その素質と才能に恵まれた者に対しては、しかるべき時に自らその習得を要求するものだからです。デッサンの研究に習熟すれば、その他の芸術の知恵も自然に、容易に身に付くものです。
絵画においては何ら強要すべき規則もなく、すべての人に対してまるで奴隷のように同じやり方、同じ方法で学べと押しつけることは、(略)若い人には、ただ妨げとなるばかりだということを、私は事実によって証明できます。」
さて、ロマン主義って何でしょう?
wikipediaによると
「18世紀末から19世紀前半にヨーロッパで、その後にヨーロッパの影響を受けた諸地域で起こった精神運動の一つである。それまでの理性偏重、合理主義などに対し感受性や主観に重きをおいた一連の運動であり、古典主義と対をなす。」です。
ロマン主義の旗手と呼ばれるヴィクトル・ユーゴーは、ロマン主義をこう定義しました。
「ロマン主義とは遅れてきたフランス革命」だと。
フランス革命で崩壊した「王権」は、美術界においては「古典主義」。
それまで、完全無欠な理想の美という観念を頂点としてその下にさまざまな美のヒエラルキー(階層)があるという古典主義は、まるで絶対王政の下に、さまざまな階級の人間がいるのと似ていると、しました。
そして、王室に宮廷作法があるように、古典主義の芸術も、「模範となる美」があり、守るべき法則があった。
しかし、ユゴーは宣言します。「美は一定の”形式”のなかにあるものではない。古典主義の見方からは”醜”と考えられているものなかにも、”美”がある」と。
ボードレ-ルも断言します「ロマン主義は感じ方のなかにある」にあると。ロマン主義は感受性を重んじたのです。
そんな思想に共鳴するように、例えばドラクロワは、なまなましい現実の事件のなかに、独自の美の世界をつくり上げていきました。美のヒエラルキーを壊して、一芸術家の「個に根ざした美」を生み出したのです。