伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)画集

伊藤若冲(いとうじゃくちゅう)は、江戸時代中期(1716年-1800年)の絵師。若冲(じゃくちゅう)の名は、大盈若沖(冲は沖の俗字)から採られた。「大いに充実しているものは、空っぽのようにみえる」の意味。




下記、伊藤若冲Kindle電子書籍の一部

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以下は、画家ブロクより。


超絶技法を可能にしたもの

 

若冲の絵は、鮮やかで豪華な発色と、精緻な筆さばきで、「超絶技法」とか「神技技法」と呼ばれます。

この若冲独特の色彩表現を可能にしているのは、

①.非常に質の高い絹地と、

②非常に高価な岩絵の具(日本画の絵具のこと)

③そして、裏彩色(うらざいしき)という技法でしょう。

 

裏彩色は、読んで字のごとく、「絹地の生地の裏から彩色すること」です。

 

表からの彩色と、裏から絹地を通って発色する彩色とが、細かく細かく計算されつくりている、若冲が実践した「神業」です。

展覧会はいつから始まった?

1792年、江戸時代の中期には、すでに全国各地から新作を集めて一堂に陳列する展覧会が開かれていました。

人々は、作品どうしは比較したり、品評したりし、絵師にとっては、互いに刺激の場となりました。新奇の試みを競いあうこともあったようです。伊藤若冲の、幅広い技法、常に新しいものに挑む精神は、この「展覧会という場」があったことと無縁ではなかったことでしょう。

動植綵絵とは

今、東京上野で「生誕300年記念伊藤若冲展」が開催され、話題を呼んでいます。

伊藤若冲の代表作「動植綵絵」とは、読んで字のごとく「動物と植物を描いた彩色画」のことです。

「綵(さい)」は「彩(さい)」と同じで、元々、5色の美しい綾(絹織物)のことを意味しました。

 

 

  • 綵とは、繊維彩られたさまをいいます。
  • 綵は彩と同じ意味です。
    若冲は40歳代の画業の多くを、動植綵絵の制作に捧げ、京都の相国寺に寄進します。寄進状に「動植綵絵」の名が見られることから、おそらく若冲自ら認じた作品名でしょう。
    寄進状には次のような内容が記されています。
    「私は常日頃から、絵に尽力し、すぐれた花木を描き、鳥や虫の形を描きつきしたいと望んできました。また、かつて見た中国画の釈迦、文殊、普賢像の巧妙無比なのに感心し、動植綵絵二十四幅(※)をつくり上げることができました。
    これは、決して世間の評判を得ようという軽薄な気持ちてなく、すべては相国寺に寄進し、寺の荘厳具の助けとなって、永久に伝わればという想いのゆえです」